読了メモ

ない、なにも、なにもかも

日記再興

フランス語の勉強を続けようと思い、4月からまた少しずつ本を読んだりしていて、8月に時間ができたので単語帳をまた作ったりしていたものの、すごーく忘れてしまっている。

それで、手書きで単語帳を作るのもいいけど、なにかちょうどいいwebサービスはないかな、と思い、Ankiは有名だけど、今ひとつ操作とデザインがピンとこなくて、なら自分用に作ってしまえばいいのかな、と学部4年頃に思って手を出さなかったことに再び手をつけてしまった。

どう考えても無駄なのだけど。(かなり暇だったはずの学部生の時は軽く頓挫した計画が、ここ数日でなんとなく形ができてきてしまったのは、その頃より多少手際がよくなってしまっているからなんだろう。)

 

自分の手になじむものを自分で作るのは楽しいけれど、他人が作ったものを買ってそれに慣れるほうがずっとずっと早い。いつだってそう、家具でも何でも。

 

言い訳を作って放置していたお仕事を謝りながらやった昨日。

 

趣味でやりたいことは全部中途半端に少しずつ進行しているような、ただやってるふりで、行ったり来たりしている間にすべて風化していくような。

 

 

音楽はやっぱり感情だね、とバッハを弾きながら(ついに)思う。小手先の操作で何か普通ではない音が生まれないか数ヶ月模索して全然弾けなくて、結局いつもながらにemotionalなところに落ち着く。

ずーっと微視的に構造を探っていたのも、きっと生きてるんだよ、とか言ってはみるもののひたすらの効率の悪さ。効率よくうまくつくった音楽なんて嫌いだけどね。

(もう)音楽以外にはそういう感情はあまり浮かばないかもしれない。

 

クープランの墓は手になじむ。ドビュッシー前奏曲集はなんか、遠くなったな。いい曲なんだけど、自分が弾くと湿り気が多すぎる。

 

 

イタリア人の気質とあの明るい風土は自分には合わないと思っているのだけど、

文学はなんとなく相性がいい。

音楽もいいような気がしてきた。エレオノーラ・アルメリーニ。(オペラは無理なんだけど。)

明るさ。歌心。

 

なんなんだろう。